お金と倫理の話し
「フォード・ピント事件」という企業の法務部が必ず習う事件がある。ジーン・ハックマンが主演した映画のもとにもなった。1970年代にあった事件で、自動車大手のフォードが販売した小型車ピントの安全性をめぐる一連の訴訟問題のことだ。
日本の小型車に負けまいと急ピッチで販売が開始されたピント。しかし、ピントには重大な欠陥があり、ついに重大な事故が起きてしまう。
実は、車体の後方部分の強度が非常に弱く、追突された際にガソリンタンクが破壊され炎上してしまったのだ。運転手は死亡し、同乗者も大やけどを負ってしまう。裁判の過程で明らかになった事実がショッキングだった。
信じられないことだが、フォードは以前から欠陥の存在を把握しており、ひとたび事故が起きればドライバーや同乗者に命の危険があることを知っていたのだ。その上で、事故が起きた時の賠償金と追加の開発費用やリコールの費用とを冷静に計算し、事故後の賠償の方が安く済むことを知り販売を強行したのだった。
裁判では命を軽視した許されざる行為に対して、フォードには通常よりも重い莫大な賠償が課せられた。
しかし、それよりも全米中の消費者から批難が寄せられ、企業としての信用を失墜させてしまったことが長く尾を引いた。当然だ。
いまでは企業の不祥事などがあるたびに、経営者に求められる倫理に話が及ぶと、しばしば引き合いに出される。金儲けに狂い、倫理を見失ってはいけないという教訓を含んだ事件だ。
倫理を失わせるのは金儲けだけではない、無関心も倫理のメガネを曇らせる要因になる。
賃貸オーナーを取材中に「自分が住むわけではないから」という言葉を良く聞くのだ。
気になって、周りのものに問いかけてみる、建築界社や管理会社、リフォーム会社の社員も実に良く耳にしている言葉だと言う。
「こちらの製品は故障が多いらしいので、こちらをオススメします」
「何でもいいよ、安いので。自分が住むわけじゃないんだから」
そこかしこで繰り返されているとおぼしきこういったやり取りの中には、安いもので十分に利益がとれる。
といった、フォードの経営陣が追求した経済合理性に対する判断すら存在していない。
故障すれば、新しいものに取り替えるコストも払わなければいけないのだから。
あるのはただの無関心だ。
こうしたオーナーの物件が繁栄することはない。消費者や取引企業は必ず見ている。入居者に見向きもされなくなる。
だから、自分が住むつもりになって物件を見ましょう。という、つもりはない。
賃貸オーナーの多くは50代以上の方が多い、1Rアパートでの生活は想像し難いと思うためである。
その変わりに、こう言うことにしている「お子さんや、お孫さんが住むと思って物件を見てみましょう」
そのつもりで、見てみれば無関心ではいられなくなる。
大やけどを負ったピントの同乗者とは、実はまだ13歳の少年だった。
住宅コラムニスト
西条阿南
新聞社を経て、フリーランスの記者、編集者として活動。
経済誌や週刊誌などに幅広く記事を執筆中。
8年間で5回の引越し経験があり、入居者目線で鋭く意見を発信する。